『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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208極上の料理を味わうかのようにゆっくりとめくり、一行一行の文字列をじっくりと味わっていった。論文は、前九年合戦を経て東北の雄となった出羽山北の清原氏の出自を明らかにすることを目的にしたものだ。方法として、現存する清原氏の系図34本を分析し、その結果として『諸系譜』巻一四・第三号の『出羽山北清原氏系図』こそが真正の系図であると指摘。それに付随して『吉弥侯部氏系図』の分析を行っている。末尾に幾つかの系図を掲載しており、その一つが『吉弥侯部氏系図』である(27頁参照)。「吉弥侯部氏」の9世紀初めに位置する「小金」からスタートして、「牛麿」—「石成」—「河雄」—「並松」—「宗信」—「武信」—「武宗」の七代を経て、秀武・武忠兄弟につながっている。秀武の傍注に「母清原武頼女」とあり、武忠の傍注に「母同」とある。野中氏は『出羽山北清原氏系図』と『吉弥侯部氏系図』の意義について、こう書いている。

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