『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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214元々の吉弥侯というのは俘囚の家なんですけども、この一族はどっちかというと中央から移住してきて、あとで吉弥侯となっている。完全には俘囚とはいえないような感じの一族ですが、それでもこの「小金」のように俘囚長となっていてもいい。こういうふうに宮城県の方にいて、鎮守府のスタッフになって、それから雄勝郡の郡司になっていく。国の役所のあるいは鎮守府の役人としてやって来て、それが今度はだいたい10世紀の終わりから11世紀の初めにかけて天下って、今で言えば市町村長に打って出るとか、そういう構図なんです。吉弥侯部の宮城県側から、県庁職員から自治体の長になるというのは極めてこの時代特有のことで、その動きを系図として跡付けているという、これは凄い話なんです。――これらの系図は中田憲信と鈴木真年が収集したものなんですが、二人のことはご存知ですか。知りません。でも、此の中身だけ見れば、そういうことを抜きに、非常に当時の事実としてありえる中身です。いまで言う国の役人や県庁の役人が市町村に天下る時期というのはだいたい10世紀の終わりから11世紀の初めにかけてなんです。郡司になるのは最初は地

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