『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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216◇次に秋田大学の研究室でお会いした渡部育子教授である。――この『吉弥侯部氏系図』の流れに矛盾とか、引っかかるものはありませんか。全くありません。といいますのは、出羽国の領域と言うのは、8世紀後半は奥羽山脈を越えて、現在の岩手県の和賀地方までが出羽国だったのです。ですから山越えというのは実に簡単だった。吉弥侯部はもともと陸奥国の新田郡でしょ? 例えば8世紀の後半ですけれども、陸奥のこの辺の蝦夷が反乱を起こし、西の方は雄勝の方からも討たせているんです。だから陸奥国で反乱がおきるとこの辺がうじゃうじゃしていますよね。そうすると律令政府は出羽国の雄勝を使っているんです。――そうした当時の陸奥と出羽の状況がそのままに反映されていると。

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