『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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229第10章 野中哲照氏インタビューの成果として、陸奥国の黒川以北十郡という北上川の下流域が先に開けたことが分かっています。その地域とちょうど新田郡がピッタリ合うもんだから、考え方として都合がいい(笑)。ただ、黄金が出ないことには「小金」を名乗らない。そう考えれば、いまも宮城県登米市の南部に位置する湧谷町の黄金山神社というものがどうしても気になります。聖武天皇が東大寺に廬る舎しゃ那な仏ぶつを建立しようとして、財政的に逼迫していた749年、陸奥国で黄金が出た。それで陸奥守だった百済王敬福が大量の金を贈ったら、天皇がたいへんに喜んだという話があります。それがその黄金山神社の場所だと言われて*東大寺の大仏
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