『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
238/356

236下に組みこまれる。国によって内地から送り込まれて来たら、その土地のことは何も知らないわけだから、いろいろと教えてもらわなくてはならない立場になる。つまり内民化というのは、そこから台頭していく方向で努力したということでしょうね。――もともと、本人たちからすれば、オレたちは俘囚じゃないよということなんでしょうね。そういうことでしょうね。ですから私、この系図を元に論文を書いていたとき、「小金」の上に二、三代を想定しているんです。――「牛麿」と「石成」の「新田郡」は宮城県の新田郡、現在の登米市の中心部辺りということですね。「小金」もそこにいたわけですかね?と思います。「小金」は先ほど言及した黄金山神社の辺りに、最初から住んでいたという想定でもいいんですが、どちらかと言うと、それは金が出たからそこに行ったというふう

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です