『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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242るものですね。ですから何かの功績があったと考えた方がいいでしょうね。――「河雄」の「鎮ちん守じゅ府ふ軍曹」って、どの程度の地位ですかね。鎮守府の将軍、軍監に続く地位ですから、。まあ一軍団の長というところでしょうね。――「河雄」の「貞観七叙」は。年を言っているわけです。貞観七年に「外従六位下」を叙せられたという意味です。――他と書き方が違いますよね。何年に叙せられたみたいな書き方はしていない。分かっているところと分かっていないところがありますからね。要するに系図と言うのは、すべてがいっぺんに統一的に書かれているわけじゃない。あるところまで書いたら、別の子孫が別の時代に遡って、五代前のあのおじいさんはとかいう感じで書いているか
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