『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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243第10章 野中哲照氏インタビューら、そうこうするうちに書き方がまだら模様になるんじゃないですかね。――こういうふうに書き方が違うことをもって、何か言えることがあるんでしょうか。やっぱり「河雄」にとって「貞観七叙」というのが、よほど何かメモリアルな時期だったんでしょうね。わが一族にとって、あの時がわが家の転機だったと思えるような何かがあった。だからこそ、一族の系図も「河雄」の次から二系に分かれて来るわけで、どちらの系統にとっても「河雄」は祖として仰がれているということですよね。――この系図を書いた人は、紙なりなんなりに残っていた記録を見て書いたんですかね、それとも誰かの記憶にあったものを書いたんですかね。両方ありえると思いますね。当時も郡衙などの役所に紙に書き残された記録があったということがありえますが、記憶でも十分にありえたと思いますね。

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