『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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254ると身分を落としてでも、うまみがある、実利がある。名を捨てて実を取るですね。ちょうど800年代、900年代ときて、源氏物語の中に、明石の入道と言う人が近衛の中将までなったのに、その京都の官職を捨てて、播磨の明石の受領になるという話が出て来ます。都の方が明らかに官職として高いと認識されていて、地方の受領が卑しめられているんだけれども、地方に降る。地方に降って何をするかと言うと、私腹を肥やせるんですよ。そういう旨みを求めてだんだん地方に行って、実利を得ている時期かもしれませんね。――外形的に見て、この程度の系譜の流れで、高貴な「真ま人ひと」姓を戴く清原家と縁つながりになれるほどの地位に来たと言えるんですかね?そうですねえ。真人をどれだけ高く見るかですけど、「武宗」も「郡司大領」ですからね。「大領」はけっこう上じゃないですかね。高いと見ていいんじゃないですかね。――外形そのものが高いですか、それとも外形はさほどではないけれど、今おっしゃったような実利の面でかなりのものを築いたというような感じですかね。

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