『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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257第10章 野中哲照氏インタビューね。清原家と対等な関係になって、荒川太郎の号まで貰って、一郡を任されるぐらいの存在になっていますからね。何百人か何千人かを使っているようなイメージですよね。自分自身で働かないでマネージメントに忙しいというような感じですかね。――『諸系譜』の『出羽山北清原氏系図』を見ると「武忠」は清原氏に養子に入ったようです。養子になった時期と前九年合戦への出陣の時期とは、どっちが先になるんでしょうか。ええと、確か「秀武」が前九年の時に50歳ぐらいでしたよね。「武忠」はその弟だから40何歳という感じかな。もう当然養子には行って、清原の人間になっていますよね。――「武忠」が清原氏に養子に行った事情としては、なにが考えられると? 清原武則にはちゃんと子供が何人かいますもんね。武則の長男の武貞がいつまで生きていたかに関わるとは思うんですが、ただ子供は一人
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