『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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258いればいいというものではなく、何人か必要なんですよ。所領の全部に子供を配置して広域支配したいわけですから。だから嫡流だけがいればいいというわけじゃない。一方で、清原武則の兄の光頼の系統のその後が全然わかっていない。光頼の系統が滅びて武則の系統だけになったのかどうか。武則の系統だけになったとしても、武忠はどうなったのかということ、それが分かりませんね。――「武忠」には官位が何も書かれていない。無位無官だったということなんですかね。武忠がその年齢に達する前に死んだという事もあるかもしれませんが、時代的に都から官位というものを貰うこと自体が価値でなくなっていた可能性がありますよね。もう官職は都から命じられるものではなくなっていて、陸奥の国司とか出羽の国司から任命されるようになっていた。特にこの「外位」という「外」がつくと正式なものではなくて、蝦夷に付けられる特殊なものですので。もう現地任命みたいなものですから、さしたる重みを感じていなかった可能性はありますよね。

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