『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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259第10章 野中哲照氏インタビュー――「武忠」の添書きにあるのは「斑目四郎」でなく「斑目次郎」という名ですね。これは、実は簡単な問題なんです。書道の問題です。「四」と「次」の字は崩し字になると、とってもよく似ているということです。「四」という字を崩すのと、「次」という字を崩すのと、書道辞典をご覧いただくとよく分かります。書体がほとんど同じだから、どっちかが間違っているわけですね。――吉彦秀武と吉美侯武忠。同じ「キミコ」でも字が違うんだから兄弟じゃないという説が一部にありますね。宝賀寿男さんなんかは「兄弟と見ないという方が全く不思議なことですよ。当時はそんなに細かに漢字にこだわったりしていませんから」と言っています。念のためにお聞きしておきますが、野中さんは?この系図が兄弟と書いている通りですよね。秀武の傍注に「母清原武頼女」とあり、武忠の傍注にも「母同」とある。この傍注の意味は重いと思いますよ。しかも『諸系譜』第一四巻の『出羽山北清原氏系図』の内容と、二種類の系図の内容がちゃんと矛盾なくつな

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