『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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279第12章 酔談「班目沢と斑目郷」――そして国の役所が、役所でなくなっていく。地元の有力者である「在庁官人」が本当は肩代わりをやっていただけなのに、だんだん役所なんかいらないと、自分の館で政治をやり始めた。それが武士という存在の発生なんです。そういう「在庁官人」がだんだんと力をつけていった、そのプロセスが遺跡としてぜんぶ見えるのがこの横手の地域。清原氏の大鳥井山遺跡といったものなんですね。――ところで、島田さんが研究者として斑目四郎に抱く関心は、どういうものですか。基本的に、斑目四郎はどこの地域を先ず支配したのだろうかと考えているんです。吉美侯武忠は班目四郎との字名を持ち、出身地は秋田市東部の「斑目」というふうに、けっこう文書では書かれている。しかし他方で、横手市の出身って書いているものもある。それで私、横手の大字、小字で「斑目」の名がないか調べたんですよ。そしたら全く見当たりませんでした。

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