『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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280――となると、やはり斑目四郎の出身地は横手市ではなく、秋田市ということ?はい。「元慶の乱」の時に、反乱したのは秋田川以北、県北の人たちなんですね。それに対し、添川、覇別、助川という3村の俘囚が朝廷に味方する形で一緒に戦った。そう文献史料に書いてあるんですよ。その添川はいまの旭川、覇別はいまの太平川と言われています。そして、この太平川沿いに「斑目沢」という地名がある。さらに言えば、この「太平」だって「マンタラメ」って書かれたりします。この太平川と旭川だけでも豪族にとって意味が大きい一つのエリアをなしているから、100年後、200年後の時期に、斑目四郎がこの地に根を張ったんだろうと思っています。◇(小休止)メモ①・・・斑目四郎の出身地については以前から、秋田市東部と横手市周辺の二説がある。前者では、遠藤巌・宮城教育大名誉教授が薩摩斑目家に伝わる『出羽国斑目御下文案』を研究し、秋田市に「斑目郷」と呼ばれる地域が存在した可能性を検証。清原一族の

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