『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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282◇(閑話休題)――斑目四郎の出自は「斑目沢」がある太平川沿いということになるのですか。まあ「元慶の乱」に続く時代を生きた人々の拠点として、この地域がふるさとなんじゃないかなあ。遺跡の分布状況からしても、そう思えます。9世紀末から10世紀初めにかけて太平川エリアで力をつけていった者が、10世紀後半から地域に根を張っていった。それが当時の吉弥侯のだれとつながるかは分からないが、前九年合戦あたりには清原氏の同族となって出て来る。横手盆地でもそうなんですが、やっぱり9世紀末から10世紀初めに力を付けて来る人がだいぶ見えてくる。そして同族連合みたいな形をつくっていった。――「斑目」の名が付くエリアも、拡大していった?「斑目」の地は、最初は「班目沢」といった小さな地域だったかもしれないけど、だんだ

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