『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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285第12章 酔談「班目沢と斑目郷」現状は本当に狭い沢ですからね。前九年合戦で一軍の司令官を務めた斑目四郎ぐらいの人物だったら、もっと大きなエリアを見ていないといけない。沢から全体を見通せるかというと、そうはいかない。横手盆地のケースを見ても、そういうところに館はない。やっぱり全体を見通せるエリアの交通の結節点に、そういう郷はあるべき。でも逆に言えば、だからこそ「斑目沢」だけに「斑目」の地名が残ったのかもしれない。大きな「斑目」郷の中の「班目沢」という狭い小さなエリアだったからこそ、つまり他への影響がさしてない奥地だったからこそ、その地名が変化することなく、残ることができたということじゃないですかね。――「班目沢」というのは地図を見ると、わりと広く見えますが(笑)。いや、やっぱり狭い谷です、谷の沢です(笑)。そんな山の中の狭い谷に、斑目四郎みたいな有力な武士の居館はない。そんな場所で行政をするのは無理じゃないかな。斑目四郎の居館はやっぱり、本流があって、大きく平野として広がるところにある。やっぱりそっちの方が本来の姿じゃないかと思う。その地の名が古代のいつからか、「太平」の漢
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