『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
291/356

289第12章 酔談「班目沢と斑目郷」「応仁・文明の乱(1467~1477年)の後、その地域の領主が交代する。山形から大江氏が乗り込んで来て、領主になるんです。大江が『大平保』の地名に即して『大平』と名字を変える。東大史料編纂所に蜷川家文書というのがあって、大平氏が出て来る。調べていくと、大平氏が少なくとも秋田家が支配するまで続くから、約100年間続いたことになる。その間に、『斑目』の痕跡はほとんど消えちゃうんです。さらに國學院大學の研究紀要を見ると、『大平』がまた名前が変わって『中津川』になっている。つまり領主が変わると地名も変わっちゃう。『斑目保』というものが『大平保』に変わって、そして『中津川保』になった。領主が変わるから、その中で過去の歴史がどんどん消えていく。消えて行っても、いったん存在したものは完全には消えない。どこかに痕跡が残る。そのわずかな痕跡が『班目沢』だろうと、私は思っています」【注】遠藤氏によると、「斑目」の地域をめぐる「オダイラ川」と「オイダラ川」の呼び名は地元では両方が言われていたといい、「太平」と「大平」の漢字についても両方が使われていたということである。

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です