『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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297第12章 酔談「班目沢と斑目郷」――それが斑目四郎の居館だった蓋然性が高い?斑目四郎の居館である可能性があると見ることができるのは、いまのところ具体的には虚空蔵大台滝だけですしね。あそこは助川という地域で、斑目郷と呼ばれるエリアの範囲だと思うんですよ。その支配者はまだ断定できませんけど、清原氏関連の遺跡だとしたら、斑目四郎の可能性があるということです。――清原氏関連の遺跡だった場合、斑目四郎の可能性はトップクラス、それとも可能性の一つという程度?トップクラスでしょうね。秋田市の東部地域として添川、覇別、助川のエリアは「元慶の乱」の時からセットの関係にある。だから、そのエリアの一角にある虚空蔵大台滝の遺跡が斑目氏であってもいいし、吉彦氏であってもいい。やっぱり河川と街道で地域を押さえる人が大きくなっていくんですから。それが10世紀前半から後半にかけて大きくなっていって、11世紀に芽ばえて、名前を斑目氏と名乗れるようになったということでしょう。
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