『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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298――ところで、斑目四郎の歴史に関連している秋田城というのは、そもそもどういう役所なんでしょうか。秋田城は、日本を治めるための役所じゃなくて、対外交流のための役所。北方世界との交易に向けた役所なんですよ。733年にできたころからサハリンとかロシアとのつながりを持って、交流や交易をやっている。そういう特殊な役割を負っていたから、秋田城之介として秋田城に赴任すること自体が武士としてのステータスになっていったんですよ。多賀城に行くのと秋田城に行くのは、当時の武士たちの誉になっていました。――秋田城の北方世界に向けた立ち位置は、斑目四郎の活動にも影響していますかね?*「虚空蔵大台滝遺跡」の発掘跡(秋田県教育委員会の2007年3月報告書の巻頭図版から)
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