『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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318第11章などで言及したように、橘公業とは鎌倉初期に秋田北部の総地頭となっていた人物。私は一昨年、この公業と薩摩斑目家の祖・橘以広・惟広父子とは系統がどこか近いところでつながっているんじゃないかと睨んでいたのだが、裏付けを見つけ切らずにいた。そこへ市来氏が自明のことのように「斑目家の宗家」と言及していたので驚いたのだ。このため、昨年の取材でも常に頭の片隅に市来氏のその一文があった。取材を進めるにつれて、公業と以広・惟広の系統とのつながりを強くうかがわせる状況証拠めいたものが幾つか出てきたが、残念ながら直接証拠は見つかっていない。

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