『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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319おわりにもう一つは、「泰基の養父惟基もこの小鹿につながる家柄である」というくだりだ。市来氏は鹿児島の郷土史家として、薩摩斑目家に伝わる『橘姓斑目氏系図』を見ていないはずがない。橘以広を始祖とし、惟広から惟基へとつながる系図である。その系図には「小鹿」という地名は一切出てこない。それをあえて「惟基も」「小鹿につながる」と書いているのは、どういうことなのだろうか。「小鹿=公業」を意味するものであり、素直に考えれば「公業につながる家柄」ということだろう。つまり、公業の子孫といった意味になる。そのままでは『橘姓斑目氏系図』と矛盾してしまう。あえて解釈すれば、第3章で言及した、惟広が公業の「弟」の位置に連なる『橘姓渋江世系図』が秘密を解くカギとなる。
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