『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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38「『橘姓斑目氏系図』を検討して、私の大きな勘違いに気づきましたので、連絡する次第です」宝賀氏の研究者としての誠実さ、ひたむきさ、几帳面さ、徹底ぶりを示すような、そんな言葉でメールは始まっていた。私は初めて会ったばかりの歴史のド素人にすぎないのに――。そして、いきなり衝撃的な結論が書いてあった。「始祖の以広は、間違いなく中央官人橘朝あそん臣の一族であることが分かりました」その根拠を、以下のように列挙していた。(48頁以下の『京都橘氏(広房系統)の系図』を参照)

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