『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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39第1章 薩摩斑目家は京都貴族の橘氏① 「右馬助以広―橘三蔵人惟これひろ広―大膳亮―掃部助」の四代は、『東あずまかがみ鑑』の記事に出てきており、実在性が確認できる。 ② その「以広」の系図上の地位については、上記四代の活動年代が正確にわかると、橘一族の系図のなかで対応ができ、以長(従五位上大膳亮筑後守)、広仲(従五位下信濃守)及び以実(正五位下判官代)の兄弟になる。③ この三人だけが『尊そん卑ぴ分ぶん脈みゃく』に掲載されており、他の橘氏の系図などから、三人のほかに広ひろこと言、以もちこと言の兄弟がいたことを私は採集しています。「以広」の名前は、これら兄弟にふさわしいものです。④ 私自身もたいへん吃驚しており、武家になった中央官人橘氏の存在に初めて気づきました。こうした流れだと、同系図に見えるように、惟基が出羽斑目を領して、それに因んで初めて斑目を号したことになります。
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