『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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40系図研究の第一人者から私ごときへのメールであるにもかかわらず、最後はこんな言葉で結んであった。「貴重な系図のご教示、ありがとうございました」◇その根拠の論理については次章で詳しく説明するが、要するに、薩摩斑目家の始祖・橘以広は京下り官人であり、京都貴族・橘氏の、しかもその本流である橘広房の子であった、というのだ。京都橘氏といえば古代から「源げんぺいとうきつ平藤橘」と総称された貴種の一つで、橘たちばなの諸もろえ兄や橘たちばなの逸はやなり勢らの血統となる一族である。斑目家の人々はこれまで、薩摩斑目家も斑目四郎の子孫であると思っていた。力曠さんの父・日仏氏は「先祖は斑目四郎」と何度も言っていたそうだ。東日本斑目家にも同じ言い伝えが残っている。だから、それを疑う人はだれもいなかった。

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