『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
48/356

46か」と森氏に問うてみた。「吾妻鏡を見てみると、以広と惟広は鎌倉幕府で政所や問注所などの仕事を担当していたことが分かる。儀式の進行役をしたり文書を作成したり、机の上で仕事をしていたわけで、その内容からして京下り官人であることは間違いない」鎌倉幕府の歴史を記録する『吾あ妻づま鏡かがみ』を裏付けとして、森氏の口調はきっぱりとしたものだった。それにしても、以広・惟広父子はなにゆえに遠い京都から、わざわざ鎌倉にまで下って来たのか。「以広と惟広が京都の下級官人だったからでしょう。京都の朝廷社会では出世というものが能力でなく家柄で決まってしまう。つまり下級官人は出世できないことが分かっているから、鎌倉に下ってきたということでしょう。出世する可能性のある中級官人だったと

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です