『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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55第2章 「100%の立証は不可能」だが「これらの事情(その他一族の活動期間との整合性)からいって、以広が橘広房の子であることは、確認されたといってよいと思われます」とりあえず安心した。宝賀氏の確認なのだから間違いあるまい。そう思い込み、信じたいのはやまやまだった。が、しかし――。なおも疑ってかかった。宝賀氏にはまことに失礼ながらも、東大史料編纂所に行って広房の1111年以降の生存を証明してくれそうな文書を、自分で探してみた。それらしき資料が出てきた。続群ぐん書しょ類るい従じゅう完成会が1990年に発刊し、古代・中世の官職である「国司」就任の記録を一覧的にまとめた『国司補ぶ任にん』(宮崎康充編)である。
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