『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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59第2章 「100%の立証は不可能」だがほどの長さで右方向に延びているのは当然として、五男(?)の位置にいる「以言」の左方向に線が(六男がいるかのように)一人分延びている。してみれば、ここに「以広」の名が来ると見るのは極めて自然なことである。宝賀氏も改めて、京都の貴族社会の通例として「『以』『広』の通字を用いて、六位以上の官職をもつ以広の系統が、橘氏本ほんそう宗一族以外から出ることなどありえないことです」と強調してくれた。だが私は、ド素人として「取扱注意物」に過剰反応するままに、なおもあれこれと疑問点を見つけ続けた。すると宝賀氏から業を煮やしたように、こんなメールが返ってきた。「関係する当時の史料が万全ではないなか、どこまで書けばご理解いただけるのか、私

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