『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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64「私は事実を曲げるつもりは全くありません。先祖が斑目四郎であろうとなかろうと、山𥔎さんの思う通りに進めてください」◇以上が今回調査の決定的なターニングポイントとなった京都橘氏説への顛末である。最重要の論理であり、以下に整理しておきたい。① 斑目力曠さんの家系に伝承されてきた『斑目家文書』(現在は鹿児島大学図書館所蔵)の中に『橘姓斑目氏系図』がある。以広から始まって惟広、惟基、泰基、政泰の五代までを記している。昨年、『薩摩斑目家の歴史』で鹿児島県の学者・研究者を取材したさい、この系図の信憑性を否定する人はだれもいなかった。斑目家の歴史に対し最も慎重な姿勢だった研究者も「こういう短い世代の系図で、始祖の位置に来る人(以広)を偽るということはほとんどないし、この内容は信用していいと思う」と言っていた。

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