『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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69第3章 惟基が「斑目」を名乗り始めたに出羽國の斑目の地の地頭に任命した、というものだ。この時点で、以広の流れである「元長」が斑目の土地を所領として持ったということだ。ただ、この「元長」がだれなのかは不明だ。『橘姓斑目氏系図』に、その名はない。『橘姓斑目氏系図』どころか、他の史料の一切に「元長」の名が出て来ない。このため、この『出羽国斑目御下文案』に対しては、鹿児島大学名誉教授の五味克夫氏など地元の学者・研究者の間で、「後世に捏造されたものではないか」との見方があった。歴史学者は史料の有無次第でそうした判断に傾きがちだ。しかし、他に史料が見つからないからといって、「元長」の存在自体が否定されるものではけっしてない。何百年もの長きに渡る歴史空間には「他に史料が見つからない」理由として、あらゆる可能性が広がっているのだ。一昨年春、五味氏が長い学究生活で自宅にため込んだ史料を整理するうち、40年ぶりに姿を現した系図があった。以広の流れを『橘姓斑目氏系図』よりも詳しく記した系図(以

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