『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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71第3章 惟基が「斑目」を名乗り始めた能性が高くなるということだ。では、この「斑目」の地の地頭に、元長は誰から任命されたのか。ふつうに考えれば1206年当時の鎌倉将軍である源実朝から任命されるものであり、『出羽国斑目御下文案』の文書様式もそうなっている。ただ、これに対し、もう一つ可能性があるのは、当時、秋田県北部の土地を広く総地頭として統治していた橘たちばなの公きみなり業という人物がいた。同じ橘氏の公業から、実際にはもらい受けたのではないか、『出羽国斑目御下文案』は形式上の追認にすぎない、との見方もできる。それは、肝心の「斑目」郷の領域がいま一つはっきりしないため、「斑目郷も公業が源頼朝から与えられた所領に含まれていたのではないか。その斑目郷の土地を、同じ橘氏である惟広に分け与えた」という見方だ。

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