『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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76命だけは助かった、と書いてあるのだ。この「羽州在国間」についても、情報がこれだけであるため、学者らの解釈は、①「惟基は斑目郷の地頭として出羽国で暮らしていた」「当時は兄弟で鎌倉と本領の仕事を分担することが多くなっており、斑目氏も廣長と惟基で分担していたのではないか」②「惟基は出羽国の秋田城に在庁官人として居た」③「惟基は普段は鎌倉に居たが、たまたま合戦の時は出羽国に行っていた」と分かれる。③の場合は、事件前の時点で、橘一族の全滅という万が一の事態を危惧し、せめて惟基だけは生きながらえさせて一族の流れを守ろうと、出羽国に避難させたという解釈があり

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