『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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78橘公業の一流との関係である。その関係の深さをうかがわせるものが他にもある。一つは法名の類似である。公業は出家して「公蓮」を名乗った。これに対し『橘姓斑目氏系図』には惟広、惟基、泰基の三代の法名が記されており、それぞれ「惟蓮」「尊蓮」「聖蓮」とある。「蓮」の字が法名の通字のようになっているように見えるのだ。単に仏教を象徴する花だから共通して使っているだけという可能性もあるが、公業になんらかの恩義があって「斑目」に絡む3人が貰い受けたと見る方が自然かもしれない。もう一つ名前の類似がある。斑目惟基の二男として『橘姓斑目氏系図』にある「員基」である。「員」の字はこの以広、惟広、惟基の系譜で他には見当たらず、京都橘氏の系譜でも広房の周辺にこの字はない。「員」の字はどこから来たものなのか。橘公業の系譜でたった一人だけ「員」の字を持つ人物がいる。公業の第11子ながら惣領の地位を継ぎ、出羽国秋田郡の地頭職も継いだ「公員」である。惟基とはほぼ同じ時代を生きた人物であり、「員基」の「員」はこの「公員」に由来した可能性がある。

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