『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
83/356

81第4章 歴史学者も「その論理は自然だ」☆入いる間まだ田宣のぶ夫お・東北大学名誉教授――『橘姓斑目氏系図』と京都橘氏の系図を比較検討して「橘以広は橘広房の子」と結論付けた、この論理はいかがですか。いいと思いますよ。とても自然です。だから橘以広は本来、大江広元と同じように朝廷に仕える官僚だったわけです。――そうすると橘以広の系統は、なにゆえに「斑目」を名乗り始めたのかということが問題になります。『橘姓班目氏系図』では惟基の添書きで初めて「斑目」の名が登場している。ゆえに惟基が、秋田県北部の斑目郷を貰い受け、斑目氏を名乗り始めたと推定されるのですが。その通り。とにかく日本では武士が行く先々で、そこの土地の魂と一体化する。これが

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です