『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
85/356

83第4章 歴史学者も「その論理は自然だ」――「橘以広は橘広房の子」と結論付けた、この論理はいかがですか。説得力がありますね。ただし、そうだとしたら、「斑目」をなぜ名乗ったんでしょうね。――同じ『橘姓班目氏系図』で、以広の孫の惟基の傍注に「斑目三郎」とあり、初めて「斑目」の名が登場します。つまり、この惟基が斑目郷に住むようになり、「斑目」の名を名乗るようになったということではないでしょうか。なるほど。だったら、その見立ては十分に成り立ちますね。――斑目姓の由来はそういうふうに見るのが自然でしょうが、他の可能性として、ひょっとしてこんなこともありえますか。斑目四郎の子孫が京都に移り住んで活動するうち、貴族化して橘氏との関係ができて、「橘以広」になったなんてことは。ありえるでしょう。とにかく、そういう時代ですから。斑目氏は出羽の田舎者じゃない

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です