『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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86☆野中哲照・國學院大學教授――「橘以広は橘広房の子」と結論付けた、この論理には無理がありますか。いや、ありません。出所が別々の系図が、期せずして一致しているという事自体が、信頼してよいという証になると思います。本当のことだから、別々の人が別々のところで管理した系図が部分的であれ重なって来る。そういう見方をするのはごく自然だと思いますね。――宝賀寿男氏が作成してくれた「橘以広と大江広元の関係系図」。実は、斑目力曠さんは子供のころから父・日仏氏から「わが家は大江広元と関係が深い」と聞かされていたという話と符号するものです。「力曠の曠も、大江広元の広だ」ということです。私も実は気になっていたんですけど、『橘姓斑目氏系図』では以広、惟広、広長と「広」の字が続いていますが、「広」という字は大江氏に出て来る字でもあるんです。だから橘
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