『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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87第4章 歴史学者も「その論理は自然だ」氏と大江氏は「広」の字でつながるところがあるんですよね。(第2章に書いたように、以広の父・広房は一時期大江匡房の養子になっていた)。――『橘姓斑目氏系図』では惟基のところで初めて「斑目」の名が出て来る。この系図が惟基のところで枝分かれしていることと、斑目の名を名乗り始めることとが符号するという読み方ができる。家が分かれる時に例えば妻方の名を名乗ったとか、何かの縁を感じますよね。☆七なな海み雅人・東北学院大学教授――「橘以広は橘広房の子」と結論付けた、この論理はいかがですか。歴史研究者は推測として、そういう論理は使うと思います。ただどうしても証拠がないわけですから、論文なんかでは蓋然性が高いという言葉で、議論を続けるという感じには
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