『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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89第4章 歴史学者も「その論理は自然だ」で……「橘以広」になったなんてことはありえますか。可能性としてはなんとも言えませんが(笑)、ただ研究者としては逆だと思います。そうは考えないで、普通に考えるのは、やはりこの京都の官人が斑目郷を所領として得たことによって、苗字として斑目を名乗るというのが普通の考え方です。ですから吉弥侯部(斑目四郎の子孫)が京都に行ってということはまああるかもしれないけれど、ただそれで無理やり斑目をこちらに結び付けようというふうには研究者は考えないです。☆青山幹哉・南山大学教授――「橘以広は橘広房の子」と結論付けた、この論理はいかがですか。妥当性というか蓋然性というか、可能性は高いということは言えると思います。ただ確実かどうかと言うのは、何とも言い難い。

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