『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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91第5章 橘諸兄、逸勢そして嘉智子皇后 第5章 橘諸兄、逸勢そして嘉智子皇后薩摩斑目家は京都橘氏の系統であるといきなり言われても、斑目家の人々はなんのことやら、ピンと来ないだろう。「源平藤橘」の四大「貴種」の一つといったイメージぐらいはあるかもしれないが、平安時代に下級貴族へと凋落していく歴史など知るはずもないだろう。少々長くなるが、『公家事典』(吉川弘文館、橋本政宣編)から抜粋・引用させてもらって、京都橘氏の系譜を概観してみよう。(96頁の『◆京都貴族の橘氏と薩摩斑目氏』を参照)――敏達天皇の曾孫美みぬ努王おうの子、左大臣橘諸兄を始祖とする氏族。和銅元年(708年)元明女帝即位の大嘗会に際し、県あがた犬いぬかい養橘三千代(藤原不ふひと比等の妻)が天武朝以来後宮に仕えた功労を賞せられ、坏に浮かぶ橘にちなんで橘宿すくね禰の姓を賜わったのに創まる。(当時の世界史と対比して時代の輪郭が少しでも浮き彫りになるよう、同時代の代表的な出来事を添書きしておく)≲*711年*サラセン人が西ゴート王国を滅ぼし、サラセン文化がヨーロッパに広がる≳
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