『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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93第5章 橘諸兄、逸勢そして嘉智子皇后――その直後、子の左大弁奈良麻呂は仲麻呂の勢力に反発して政変を企てたが、失敗して投獄され、ここに橘氏はおおむね逼塞した。≲*768年*カール大帝がフランク王国の国王となり、ヨーロッパは封建制時代へ向かう≳――しかし奈良麻呂の孫娘嘉かちこ智子は才媛の誉れ高く、嵯峨天皇の皇后となり、その長子正まさ良ら親王は天長十年(833年)淳和天皇の譲位を受けて践祚して仁明天皇となり、橘氏は外戚として昔日の栄光を取り戻し、皇后の舎弟氏うじきみ公は右大臣にまで昇り、また氏院の学館院を建てるなど橘氏の興隆に尽くした。≲*780年*唐が均田制・租庸調制に代え、夏・冬の年2回徴税する両税法を施行≳――承和九年(842年)の承和の変で橘逸勢が失脚し、同十四年氏公が没し、嘉祥三年(850年)嘉智子が亡くなると、同氏の勢力は急速に衰えた。≲*843年*フランク王国が国王の死で三分され、現在の独・仏・伊の原型が形成さ
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