大日経の研究
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奥�書��私は昭和三〇年春、大本山大覚寺に入山して日光という僧名を草繋門跡〔くさなぎもんぜき〕から頂き、その時から大日如来の法を説く真言宗の重要経典�大日経に関心を抱きました。��空海は久米寺で大日経に出会い入唐求法を決断されたと伝えられています。��そこで卒業論文のテーマとして、大覚寺で修行以来、気に掛かっていた大日経の教えの部�「住心品」(じゅうしんぼん)の菩提心を中心に、その真髄について考察することにしました。��昭和三四年秋、京都山科の小野の随心院の書院を三カ月間お借りして書き上げました。それを�三年後輩だった長谷川裕一君(現在・お仏壇の「はせがわ」相談役)、栄明忍君(同・山口県萩市の「端坊」前住職)、前田至正君(同・広島市の「善法寺」前住職)の三君に清書してもらいました。��今年に入って、この論文がいまも母校に保存されていることを知り、半世紀余ぶりに取り寄せて読み直してみました。��最近、日に日に体力、気力、知力が衰えてゆく自分を嘆いていました。衰えていないものはと、探してみても記憶力をはじめ全てが衰えていました。そうした中でこの卒論を見直して、これまでの一喜一憂の生き様の人生で、出会った課題への取り組み方や、考え方は二十代と変わらず、あまり衰えていないなぁーと安心しました。�奥�書��私は昭和三〇年春、大本山大覚寺に入山して日光という僧名を草繋門跡〔くさなぎもんぜき〕から頂き、その時から大日如来の法を説く真言宗の重要経典�大日経に関心を抱きました。��空海は久米寺で大日経に出会い入唐求法を決断されたと伝えられています。��そこで卒業論文のテーマとして、大覚寺で修行以来、気に掛かっていた大日経の教えの部�「住心品」(じゅうしんぼん)の菩提心を中心に、その真髄について考察することにしました。��昭和三四年秋、京都山科の小野の随心院の書院を三カ月間お借りして書き上げました。それを�三年後輩だった長谷川裕一君(現在・お仏壇の「はせがわ」相談役)、栄明忍君(同・山口県萩

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