平成30年 嵯峨天皇宸翰 勅封般若心経1200年 戊戌開封法会 旧嵯峨御所大本山大覚寺
来たる平成30年(2018)は、旧嵯峨御所大本山大覚寺並びに華道嵯峨御流のご始祖である嵯峨天皇が、宗祖弘法大師のお勧めにより、般若心経を書写された弘仁9年(818)から丁度1200年に当たります。
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来たる平成30年(2018)は、旧嵯峨御所大本山大覚寺並びに華道嵯峨御流のご始祖である嵯峨天皇が、宗祖弘法大師のお勧めにより、般若心経を書写された弘仁9年(818)から丁度1200年に当たります。この弘仁9年の春、大旱魃(かんばつ)から全国に疫病が蔓延したことに対し、嵯峨天皇は「朕の不徳にして多衆に何の罪かあらん」と、正殿(御所)を避けて離宮嵯峨院で質素倹約に努められました。そして4月26日から28日までの3日間、弘法大師のお勧めにより、嵯峨天皇及び公卿百官は素食精進のもと、般若心経に帰依して読誦転経し、殊に嵯峨天皇が紺紙に金泥で一字三礼の誠を尽くして般若心経を書写されると、霊験あらたか、疫病はたちまちに治まり、大いなる功徳を得られました。
以来、この嵯峨天皇宸翰(しんかん)の般若心経は霊経と崇められ、勅封として厳重に秘蔵されることになりますが、書写された弘仁9年が戊戌の年であったことから、干支が一巡して戊戌が巡り来る60年ごとに勅使によって開封され、戊戌法会として広く皆様にお披露目することになっており、特に今回は20回目の戊戌という吉祥なる勝縁を迎えます。
また、般若心経浄書と時期を同じくするように、嵯峨天皇は世の平安を願って大沢池に浮かぶ菊ガ島に咲く菊を手折られ、殿上の花瓶に挿されました。すると、その姿が自然に天地人の三才が備わっていたところから「後世花を生くるものは宜しく之を以て範とすべし」と仰せられました。これが華道嵯峨御流の発祥であり、嵯峨天皇を始祖と仰ぐ所以であります。
戊戌法会を控えた平成28年(2016)には、嵯峨天皇をはじめ歴代天皇の勅封心経を奉安する心経殿の建立を願われていた、大覚寺最後の宮門跡である有栖川宮慈性入道親王の150年御忌を、戊戌法会の無魔成満を祈念して厳修いたします。
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